教員免許を取得し、JICAでパラグアイへ
2018/12/26(水)
育英義塾教員養成学院在学中 伊波真理子さん(小学校教員免許取得見込み)
JICA試験に合格し2019年夏~パラグアイへ
◆これまでの経験(学歴・職歴含む) JICA参加のきっかけ
普天間高校在学中に1年間、交換留学でアメリカ合衆国に渡りました。JICAへ参加を決意するにあたっての根本的な考えを持つようになったのはこの時からです。その考えとは”pay it forward”、人から受けた親切を別の人に親切をすることでつないでいく意味を持ちます。日本語には直訳できる適切な表現が思いつきませんが、沖縄の方言で言うと「ゆいまーる」の考えに近いのではないかと思います。17歳でアメリカ合衆国に渡った私を、多くの人が見返りを求めず、支えてくれ ました。これまで以上に人の思いやりを感じ、その素晴らしさに感銘を受けました。 もらってばかりではなく、私も誰かに返したいと思えました。
帰国後は普天間高校に復学、卒業後は京都にある立命館大学に進学しました。立命館大学では、社会学・人文学を中心に世界各国について学びを深めました。例えば、講義では各国の文化や宗教、発達途上国の現状や支援に関することを学んだり、外国人留学生と討論して新たな視点を得ました。また、フィールドワークでは、韓国で1週間、釡山の大学生と交流したり、元従軍慰安婦の方にお会いしてお話を伺ったり、インドでは2週間滞在して、事前・事後学習も含めインドの宗教と文化を学びました。そして、卒業論文ではアメラジアンについて執筆しました。卒業論文執筆中には、後に勤務することになるアメラジアンスクールへも一度伺いました。
卒業後は海外の大学院進学を考えていましたが、恩師から社会人としての視点を持って海外に出ることは私の成長につながるとおっしゃっていただき、就職しようと決めました。就職活動では「自身が成長できる場所」を軸に就職先を決めました。良い言い方をすれば「成長できる企業」、悪い言い方をすれば「ブラック企業」、ワークバランスの大切さを重視する世の中とは逆行して、 私はあえてそこを選びました。のんびりと仕事をするよりも、激務な中で密な時間を過ごす方が成長するスピードが早いと思ったからです。就職を決めた後も海外勤務や、3年働いた後に海外の大学院進学を考えていました。そうした考えを持ったまま、東京のIT企業に勤め、Webサイト制 作を学ぶスクールの講師と営業を担いました。仕事を始めて1年半経った頃、欧州では移民問題が起こりました。自身の大学での学びを振り返り、今の自分を見つめると「私は何をしているのだろう」と現状に疑問を持ち始めました。困っている人が世界にはあふれていて、そこに目を向け なくていいのだろうか、と考え始めました。それから日も経たないある朝、何の夢をみたのかは覚えていませんが、目覚めて涙が溢れ、高校の時に知ったスティーブ・ジョブズの言葉「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか」を思い出しました。そして、その答えは「いや、違う」でした。そしてこの夢を見た次の日には、上司に退職の意思を告げました。
ドイツの大学院進学を決意し、仕事をやめ、沖縄に帰りました。大学進学のためTOEFLの勉強を始め、奨学金の準備を進める中、退職する際に言われた先輩の言葉もあり、大学院進学の前に卒業論文でテーマにしたアメラジアンについて実際にふれ、研究すべきと考え、アメラジアンスクール理事長と話をしました。インターンを申し入れたところ、ちょうど産休の先生が出たので働いて欲しいと言っていただきました。その時は幼稚園生と1年生の複合クラスを担任代理として勤めましたが、「Webスクールで講師をしていた経験がある」、「実家が保育園だから」、といっても初等教育に関して専門性がない私は、翌年度もアメラジアンスクールで働くと決めた際に、一緒に教員免許も取得しようと考え、明星大学の通信教育を始めることにしました。そして、免許を取ると決めた際にJICAに小学校教員として参加しようと思い始めました。アメラジアンスクールで働いていると、直面する課題は、卒業論文時に研究したものと現場で異なっていると思えました。その際に、大学院進学ではなく現場で学ぶ方がいいだろう、何より、その方が自分に合っているだろうと思い、JICAへの参加を考えるようになりました。しかし、自分でも行くと決断していない時から、「私はJICAに参加する」と公言しました。そうすると、周りが情報を提供してくれます。自分の気持ちを確かめるためにも公言してよかったと思いました。
そして、私はアメラジアンスクールで小学1年生の担任および小・中学生の情報の先生として、また副業としてプログラミング教育を提供する企業で働きながら、明星大学通信教育部で勉強を進めました。よく「仕事では先生、休みは生徒」と自分の状況を説明していました。生徒と同じ学生の立場になれたことはプラスに働いたと思っています。
JICAの応募期間が近づき、最初は漠然とした考えだったものが、より確かなものになっていきました。そして、参加の意志は固まり、JICAに応募しました。
◆JICA試験について
JICAの試験は年2回応募ができます。一次選考では健康審査などの書類審査、二次選考は東京で面接があります。面接は、人物・技術面接の2回行われますが試験の対策方法や過去に面接で聞かれた質問内容については、JICA沖縄センターが面接前に対策講座をひらいてくれました。問題の中には、「数直線と数分図の違いとは」、「具体物、反具体物、非具体物の違いについて」など派遣内容の専門性が問われるものがあります。実際、技術面接で自己紹介と自己PRを1分、一次書類に記入した内容に対しての質問、線分図の数直線の違いや私の考える生きる力を尋ねられました。対策したおかげで面接もうまくいったと思っています。
◆今後のJICAの流れ(研修)
4月中旬から70日間長野で訓練を行います。派遣先国での健康管理と環境への適応力向上や語学 力強化、安全管理や保健衛生、国際協力の知識習得などを行います。研修前にも事前学習があり、メディア教材でJICAの取り組みや保健衛生、語学について学習する必要があります。訓練開始5ヶ月前ではありますが、私はスペイン語を学び始めました。
◆派遣先への思い
派遣先はパラグアイの現地の小学校になります。派遣先の希望は出せますが、私は国にはこだわらず、自分が役に立てるところを希望として提出しました。結果的には第一希望の場所に配属されることになりました。この学校の一番の魅力はアメラジアンスクールと似ていて保護者も関わって学校運営を支えているところです。
配属先校では、これまでの詰め込み型の教育から日本で実施される指導法を参考にしながら教材・教具を用いながら課題解決型の算数の授業を展開することが求められています。そのため、出発前は算数の指導方法について学び、希望に応えられるようにしたいと思っています。また、これまでの経験を活かし、プログラミング教育を取り入れたり、日本の小学校との交流を進めたいと思っています。